むかしのはなし#03 まちなみの移ろい
文化財について保存・活用を推進する活動を行う文化財保護委員のみなさんに、泉大津市のむかしの暮らしについて語っていただきます(不定期掲載です)。
今回は泉大津のまちなみの変遷について紹介します。
本文中の写真が掲載されている、泉大津市ORIAMデジタルヒストリー(デジタルアーカイブ)のURLも掲載していますのでぜひご覧ください。
本通り(旧国道26号(田中町)・昭和17年)① ※82年前
市街に木造低層建築が建ち並んでいたこの時代は、近代的な銀行建築がランドマークになることがよくありました。
いまの大阪信用金庫泉大津支店の場所もその一つです。
左側の長屋は当時から建っていることがわかります。
駅前の大通りに戦前から建っている建物があるなんて、なんだか感慨深さを感じますね。
https://adeac.jp/izumiotsu-city-oriam-history/viewer/mp03000380/P14-1/
本通り(旧国道26号(田中町)・昭和17年)② ※82年前
市街に工場や銭湯の煙突が何本も写っています。
なかでも右端に写る大きな煙突は藤井若宮整絨(株)の煙突で、同社が昭和16年の創業であることを考えると建ってすぐの風景だと考えます。
その煙突が今も残っていることに驚きますね。
中央には商工会議所、左側には泉大津駅前ロータリーが写っています。
https://adeac.jp/izumiotsu-city-oriam-history/viewer/mp03000430/P16-1/
田中町商店街(昭和26年)※73年前
まだアーケードができる前の紀州街道の賑わいがよくわかります。
大津神社を右斜め背に南西向きに撮影しています。
町家が建ち並び、銀行もあり、まさに泉大津の商業の中心として栄えていたのですね。
紀州街道を歩いて通る機会も減ってしまったと思いますが、お時間あるときにこの写真を思い出しながら散歩してもらえたらうれしいです。
https://adeac.jp/izumiotsu-city-oriam-history/viewer/mp03000520/P20-1/
泉穴師神社周辺写真(豊中町・昭和44年)
この付近は農家住宅が比較的よく残っているエリアです。
50年以上前と比べてもまちなみの変化が小さいことがわかります。
これは推察の域を出ませんが、有力な社寺のまわりは、古いまちなみが残りやすい傾向があるのかもしれません。
https://adeac.jp/izumiotsu-city-oriam-history/viewer/mp03001630/P56-2/
皆さん、いかがでしょうか。
現在の市街に残る昔の名残を探していくと、地域の歴史を知ることができたり、私たちのまちにより愛着がわいたりします。
まちなみというのは社会の共有財産であり、人間の生活が続く限り未来に受け継がれていくものです。
泉大津のまちなみや景観のことを、少しでも考えるきっかけになればと思い、この稿を起こしました。
読んでくださりありがとうございました。
(文化財保護委員/北條)